冨岡 剛

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    • 2018.04.01 ギャラリーを追加しました。
    • 2017.07.16 オフィシャルホームページがオープンしました。
    努力は、結果を裏切ることもあるが、
    人生を裏切ることはない。

    努力は報われる。その人生訓をリトルリーグの少年野球で学んだ。
    中学で始めたラグビーでもそれは変わらなかった。
    そして、恩師となった“ミスター・ラグビー”平尾誠二さんとの出会いが私の人生を変えた。
    彼の最期に直面し、目標を持って挑戦し続けることを決意した。
    平尾さんに見出され、磨かれ、ラグビー以外のことを学ばせてもらった。
    平尾さんの生き様に恥じない人生をと願う今。
    平尾誠二のDNAを継ぐ一人となりたい。

    PROFILE

    • 2018.04.01

      ギャラリーを追加しました。

    • 2017.07.16

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    PROFILE

    冨岡 剛
    TSUYOSHI TOMIOKA

    元ラグビー日本代表A。神戸製鋼コベルコ・スティーラーズ元選手。一般社団法人世界デトックス協会代表理事

    生年月日1968年5月8日
    出身地 東京都渋谷区
    血液型 AB型
    身長  181cm
    趣味  音楽鑑賞・映画鑑賞・ボディメイク

    経歴

    青山学院幼稚園・初等部・中等部・高等部・大学卒業(経営学部経営学科)神戸製鋼コベルコ・スティーラーズ入団青山学院大学ラグビー部監督就任外資系ネットワークビジネスのディストリビューター

    全日本代表選手を掴み取ったシンデレラボーイ

    中学1年からラグビーを始め、青山学院大学では背番号15番フルバックとして活躍。大学3年のときに周囲の反対を押し切って参加した全日本代表候補合宿で遠征メンバーに選出される劇的な活躍を見せ、シンデレラボーイとして一躍名を馳せる。この合宿が後に神戸製鋼コベルコ・スティーラーズ入団のきっかけとなる平尾誠二との最初の出会いだった。

    日本選手権7連覇達成、史上最多得点記録の樹立

    大学を卒業した1991年、平尾誠二の誘いを受けて神戸製鋼コベルコ・スティーラーズに入団。チームの日本選手権7連覇達成においてV4(1991年度シーズン)からV7(1994年度シーズン)に多大な貢献を果たし、「ゴルゴ」の愛称で呼ばれるようになる。また、日本選手権出場4度目で史上最多となる74得点を記録(歴代1位)。V7を達成した1994年度シーズンには、プレースキック成功率でも歴代1位で史上最多となる12ゴール、1PGを記録した。1998年に現役を引退し、母校・青山学院大学ラグビー部監督に就任。

    ネットワークビジネスへの転身でふたたび掴んだNo.1の座

    2003年に外資系ネットワークビジネスの創業者と出会い、ネットワークビジネスの世界に身を転じた。2005年から2006年にかけて世界一のディストリビューターの証であるディストリビューター・オブ・ザ・イヤーとなり、同時期にオーストラリアのブリスベンに購入したペントハウスに活動拠点を移した。2009年には世界中のネットワークビジネスのディストリビューター収入ランキングで日本人最上位(世界9位タイ)の座を獲得。

    2016年からは一般社団法人ベストボディ・ジャパン協会が主催するベストボディ・コンテストへの挑戦を始め、2016年度宇都宮大会・福井大会・岡山大会の3連続優勝を果たしている。また同年、一般社団法人世界デトックス協会代表理事に就任。

    PROFILE

    目標を持ち、挑戦し続けること

    中学1年の12月に観た大学ラグビーの早明戦は、それまで野球少年だった私がラグビーを始めるきっかけとなりました。そして、神戸製鋼コベルコ・スティーラーズの先輩、平尾誠二さんとの出会いが私の人生を決定的なものへと導いてくれたのです。

    ラグビーの、そして人生の恩師であり、生涯の目標でもあった平尾さんに恥じない生き方をしたい。目標を持ち、それに挑戦し続ける自分でありたいと願っています。

    冨岡 剛

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